自分史はほんとうに自分のものか?

こんにちは、ライフストーラー企画の山田風音です。今日は自分史という言葉について少し書かせていただきたいと思います。

「クリスチャンの自分史作成サポート」と看板を掲げてはいるのですが、実は「自分史」という言葉に違和感を持ち続けています。チラシやこのホームページを作るとき、この自分史という言葉を使わないことも考えたのですが、かなり普及している言葉でありイメージをしてもらいやすいためにこの言葉をそのまま使っています。
ただやはり、自分の中では違和感を拭い去ることができません。その理由のひとつには、クリスチャンとして「自分」を中心に据えることへの違和感があるのだと思います。私たちのストーリーは確かに「自分のストーリー」なのですが、それ以上に「神の書かれたストーリー」なのだと思うのです。新約聖書のエフェソの信徒への手紙の中に「わたしたちは神の作品である(2:10)」という言葉が記されていますが、私たちの人生のストーリーはまさに「自分の作品」というよりも「神の作品」だと思うのです。
そしてもう一つ、自分史という言葉に違和感を感じる理由は、どんな人の自分史も決して自分のことだけでは決して完結しないからです。ご自身のご両親に言及しない自分史はまずありません。死別や離別も含めて、どなたも必ずご両親のことを欠かさずに語られます。そして、ご兄弟、学校のご友人、配偶者、お子様、お孫様など数えきれない登場人物が「自分史」の中に登場するはずです。あなたのストーリーは決してあなただけのストーリーではありません。むしろ、たくさんの人々との関係が縦横に紡がれた織物のようなものでしょう。私はそれを「自分史」と呼ぶことに少し抵抗を感じます。
あなたのストーリーは決してあなただけのストーリーではありません。それは神がご自身の手で書き上げられているストーリーであり、たくさんの人々によって彩られたストーリーだと思います。そして、だからこそ、私はそのストーリーを聞かせていただきたいし、残すお手伝いをさせていただきたいのです。そして、あなたのストーリーがほかの人のストーリーの縦糸、横糸となり神の新しい作品へと変えられていく…。だからこそあなたのストーリーはかけがえのない、残すべき大切な宝だと、私は信じています。
今回も目を通してくださりありがとうございました! ご意見やご感想など、どんなことでもお問い合わせフォームから送ってください! 感謝しつつ…。
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